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慶元寺

慶元寺について

永劫山華林院 慶元寺は、世田谷区喜多見にある浄土宗の寺院です。文治2年(1186)、江戸氏の氏寺として現在の皇居紅葉山周辺に創建されました。その後、江戸氏の衰退による移居に伴い、康正2年(1456)に喜多見の地へ移されました。現本堂は享保元年(1716)に再建されたもので、現存する区内寺院の本堂では最古の建造物と言われています。当時の趣を伝える本堂や山門、古樹がたち並ぶ境内には、今も昔も、都の喧騒を忘れる静かな時間が流れています。

竹林

慶元寺の歴史

慶元寺の変遷

文治2年(1186)、武士の江戸太郎重長により創建された慶元寺は、当初「岩戸山大沢院東福寺」と号する天台宗の寺院でした。

康正2年(1456)に木田見(現在の喜多見)の地に移され、天文9年(1540)に中興開山の真蓮社空誉上人により浄土宗へ改宗・「永劫山華林院慶元寺」へ改称されました。寛永13年(1636)には、徳川3代将軍家光から寺禄十石の御朱印地を拝領し、以後、幕府の保護を受けながら寺門を護持したと伝えられています。

現在も、歴代将軍から受けた朱印状のほか、江戸氏歴代の墓碑や供養塔、享保元年(1716)再建の本堂など、焼失を免れた歴史的資料や古建築が多く残されています。

木像
江戸太郎重長の木像

江戸氏について

江戸氏と江戸の関係

慶元寺を創建した江戸太郎重長は、江戸氏の始祖である江戸重継の長男です。重継は、桓武天皇の流れをくむ秩父平氏出身の人物で、現在の皇居周辺に館を築き、江戸一帯を占有していました。大治5年(1130)頃から江戸姓を名乗ったとされており、これは本拠の地名「武蔵国江戸郷」に由来するものです。

重継を始祖とする江戸氏はその後、約300年間にわたり江戸の地を統轄しましたが、江戸城築城を計画していた太田道灌に退去を求められ、康正2年(1456)に喜多見へ移りました。本家が弱体化していた当時の江戸氏には、時の権勢に抵抗する力がなかったと言われています。東京開都のシンボルとしては太田道灌が有名ですが、彼よりも前に江戸氏が東京を開都していたことはあまり知られていません。

銅像
江戸太郎重長の銅像

江戸氏から喜多見氏へ

武士の一族であった江戸氏は、鎌倉幕府、室町幕府、小田原北条氏(戦国時代)と幾度か主家を替えながら家名を存続させました。しかし天正18年(1590)、徳川幕府の御家人となった18代目の勝忠は、自らの姓が主君の居城「江戸城」と同じであることを憚り、以降「喜多見」と名乗るようになります。勝忠は、関ヶ原の合戦や大坂冬の陣で武功を上げ、幕府占領地の治安維持を命じられるなど将軍からの信任が厚い人物でした。彼が築いた徳川家との関係は、その後の喜多見氏の繁栄に大きく貢献することになります。

また勝忠は、神仏に対して信心深い人物としても知られており、徳川家から賜った喜多見村五百石のうち五石を氏寺である慶元寺に寄進したことが記録されています。勝忠による慶元寺中興がなければ、現在の姿で慶元寺が存続していることはなかったでしょう。

喜多見流茶道の創始

勝忠は、武家茶の第一人者・古田織部から茶湯を学び、沢庵や小堀遠州などの文化人と親交を深めながら喜多見流茶道の源流をつくりました。喜多見流茶道を創始した人物は、勝忠の三男、久大夫重勝です。慶長9年(1604)に武蔵国で生まれた重勝は、宗可流の祖・佐久間将監に茶湯を学んだ後、小堀遠州に師事しました。宗可流と遠州流を会得した重勝は、両派の理念を融合して喜多見流茶道を創始したと伝えられています。現在の慶元寺にある茶室は、喜多見流の趣向を体しています。

掛け軸
久大夫重勝の肖像
慶元寺茶室内観
慶元寺茶室

喜多見氏の没落

貞享2年(1685)、喜多見氏20代目の重政は徳川5代将軍綱吉の寵愛を受け、幕府の側用人に登用されました。重政は2万石の大名にまで登り詰め一族は隆盛を極めましたが、元禄2年(1689)2月、くしくも彼の代に喜多見氏は御家断絶となりました。同年1月に一族が起こした刃傷事件を重政が内々に処理しようとしていたことが綱吉の怒りを買ったためと言われています。始祖重継の代から続いてきた江戸氏の嫡流は重政の代で没落しました。

ただし、重政の子・忠政は、喜多見の地を逃れて北海道の松前藩に仕え、その子孫は代々北の地で生き延びたと伝えられています。

  1. 創建

    文治2年(1186)

    江戸太郎重長が江戸城紅葉山(現・皇居付近)に天台宗の「岩戸山大沢院東福寺」として創建

  2. 移転

    康正2年(1456)

    太田道灌に本拠を明け渡した江戸氏が喜多見に移住し、慶元寺も現在地へ移転

  3. 改宗と改称

    天文9年(1540)

    中興開山の真蓮社空誉上人が浄土宗へ改宗・「永劫山華林院慶元寺」へ改称

  4. 再興

    文禄2年(1593)

    喜多見勝忠が再興。元和2年(1616)には永続資糧として慶元寺に五石寄進

  5. 拝領

    寛永13年(1636)

    徳川3代将軍家光から寺禄十石の御朱印地を拝領

  6. 本堂再建

    享保元年(1716)

    宝永年間に焼失した本堂を再建(現本堂)

文化財・寺宝

  • 朱印状

    江戸太郎重長の木像

    寺記に「江戸太郎重長」と記されている木像です。正確な制作年代は不明ですが、江戸時代中期頃の作と考えられています。

  • 当麻曼荼羅図
    涅槃図
    閻魔王図

    当麻曼荼羅図・涅槃図・閻魔王図

    いずれも江戸時代に描かれ、大正3年(1914)に修復された3幅です。

  • 古墳跡

    慶元寺古墳群

    喜多見古墳群(全8基)のうち、3号から6号の古墳4基が慶元寺内に現存しています。円筒埴輪や小刀などの出土から古墳であることが確認されていますが、現在は古墳としての形をとどめていません(写真は6号)。

アクセス

所在地

〒157-0067 東京都世田谷区喜多見4-17-1
( Google Map )

最寄り駅

電車

・小田急線「喜多見」駅より徒歩20分

バス

・東急バス「次大夫堀公園前」下車徒歩12分

(成城学園前駅 ⇄ 二子玉川駅)

・小田急バス「喜多見住宅」下車徒歩3分

(狛江駅南口 ⇄ 喜多見住宅)

・小田急バス「喜多見中学校」下車徒歩1分

(狛江駅南口 ⇄ 宇奈根)

・都心方面より

 首都高速3号渋谷線「用賀IC」出口より車15分

・神奈川・静岡方面より

 東名高速道路「東京IC」出口より車15分

参拝者専用駐車場(96台・無料)がございます